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週刊WIF「Fall of Vichy France」

Fall of Vichy France

1940年4月のヴィシーフランスの成立により、西方戦役は終わりを告げ、ヨーロッパは平和を取り戻すかのように見えました。
しかし、ドイツはフランス戦の成果に満足することなく、さらに戦火を拡大すべく、次の目標を考え始めていました。


1.1年早い独ソ戦を1940年5月より開始する
非常に魅力的な案です。ソ連は赤軍大粛正の痛手からまだ立ち直っておらず、独軍との練度差は歴然としてます。
しかし、独軍主力はフランスにおり、東部戦線に移動するだけで1940年5,6月の大半が終わってしまうと考えられること、早期の開戦によりソ連の生産力係数が増大することを考えると、1940年にドイツが更に戦線を拡大する方が有利という考えもあり得るところでしょう。

2.英国本土上陸作戦を実施する
これも魅力的な案です。既に独軍主力はフランスにおり、イギリスは目と鼻の先です。
海軍力が劣る独軍ですが、空軍は優勢であり、制空権を握る可能性は高く、制海権を握ることもできるかもしれません。
しかし、やはり英国海軍の質量を考えると、海戦には運の要素が高いとは言え、かなり博打的要素があることも確かだと言えます。

3.スペインに侵攻し、ジブラルタルを落とす
フランスにいる独軍が、そのままスペインになだれ込みます。スペインは独軍が使用可能な工場があり、生産力の向上が見込まれるだけでなく、ジブラルタルを陥落させ、アレキサンドリアを落とすことが出来れば、連合軍が地中海の制海権を挑むことは出来なくなり、盟友イタリアは安泰となるでしょう。
しかし、スペインは中立国としては強く、地形も山がちで、攻略には困難を伴います。英国が介入することも考えられるでしょう。
また、中立国のスペインを侵攻すると、米国を刺激することも考えられます。

結局、独軍は、第3案を採用し、余裕があれば1940年中はアフリカでの攻勢とトルコ侵攻を行い、来るべき1941年の独ソ戦を有利な情勢で開戦することを目標とすることにしました。
しかし、問題なのは、フランス占領地域とスペイン国境との間に1ヘクスしか存在せず、このままだと攻撃正面が大幅に限られてしまいます。
そのため、ドイツはヴィシーフランスの接収を宣言します。
ヴィシーフランスは僅か1か月の命という数奇な運命を辿り、ヨーロッパから消えていったのでした。

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