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World in Flames 5th Edi. @1942

WF@19421942年1,2月、気候は厳冬となり、独軍の能力が低下します。ソ連軍の冬季反攻が始まり、それなりの成果を上げていたようです。
中国戦線では、中国軍は重慶を放棄し、中国の奥地へとどんどん逃げてゆき、日本軍は追撃していきます。
米国は戦争経済への移行を宣言し、日本に圧力をかけますが、日本軍に対米戦に備えた動きは特にありませんでした。

PF@19423,4月、前ターンの米国参戦チットが僥倖にも6であったため、遂に米国は、日本に対して宣戦布告を行います。
日本軍に何も備えがなかったので、横須賀奇襲を検討しましたが、米国が中立の間は移動に制限があるため、効果的な部隊配置が出来ないため、空襲は取りやめました。
しかし、日本軍は南方方面に何の備えをしていなかったため、海兵隊2個軍団をトラック島へ派遣します。
しかし、この上陸作戦は、唯一の失敗の出目であった1の目がでてしまい、海兵隊は全滅してしまいます。

5,6月、地中海の制海権を握っていた英国は、有力な陸軍をアフリカ軍団の後ろに上陸させ、アフリカ派遣軍全部隊は補給切れに陥ります。
余勢を駆って、英国陸軍はアフリカの枢軸軍の補給源であるトリポリに上陸にしますが、これまた唯一の失敗の出目であった1の目がでてしまい、英国陸軍は全滅してしまいます。
時機をみて、イタリア空軍が地中海に出撃し、不利な情勢下にも関わらず英国空母を強制帰還させ、空母への損害を恐れた英国海軍は撤退します。
一時的に補給が通じたため、アフリカ軍団は反撃に転じ、封鎖部隊を撃退して、トリポリ方面に後退して行きます。

7,8月、何故かソ連軍が独軍に対し、夏季攻勢を発動しますが、優秀な独軍の前に殆ど戦果は得られません。
英国陸軍は、撤退したアフリカ軍団の前にスクリーンを張っていたイタリア軍を攻撃しますが、1の目がでてしまい大損害を受け、暫く陸軍の再建のために動きが止まりました。

9,10 月、ソ連軍は部隊を北極戦線に部隊にシフトさせ、フィンランドを攻撃しました。
独軍は山岳軍団と空挺部隊をフィンランドに空輸して、戦線を安定させます。

11,12月、米海軍がオーストラリアのブリスベーンに引きこもり、動きが無かった太平洋方面ですが、不用意に南方で海上警戒に出てきた日本海軍を攻撃し、巡洋艦2ユニットを損傷させました。

大した成果はなかったとはいえ、1942年の夏期においてもソ連軍が夏季攻勢を行えるようになったというのは、やはり序盤の工場疎開が成功したため、兵力を蓄えることができたということだと思います。
経済力自体はドイツの方が大きいのですが、ドイツは東西に兵力を分ける必要があるため、実質的にはソ連の方が強くなっていました。

太平洋方面では動きが余りありませんでしたが、若干日本軍が水上兵力では優勢なために、米海軍がオーストラリアのブリスベーンに引きこもり、日本軍も攻勢を取らなかったのが原因です。
海軍の建設は2年ほどかかり、中立状態の米国は余り生産をしていなかったため、米海軍の本格参戦は1944年頃と見込まれており、米国はそれまで積極的にしかけないつもりでした。
その間、兵力の優勢を生かして、日本軍が太平洋方面で攻勢にでるのも考えられると思いますが、日本軍の関心は中国方面にあり、太平洋で攻勢を出ることはありませんでした。
個人的には、兵力の優勢がある間に、太平洋で攻勢に出て、米軍をすり減らす必要があると思います。
その意味では、序盤に空母を含む米海軍に打撃を与える可能性がある、真珠湾攻撃は意味があるのだと思います。

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