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大連港

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翌2月11日、非常に冷え込んでいましたが、朝早くから大連港に向かいました。
大連港は日露戦争中に既にロシアの手により完成していた第1、第2埠頭を引き継ぎ、1907年から港の建設と運営を南満州鉄道が行い整備してきた港です。
こちらは1926年竣工の、旧満鉄大連埠頭事務所(現在の大連港務局)です。

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旧満鉄大連埠頭事務所の内部は無意味に豪華です(笑)。
7階建てであり、屋上は観光客のために開放されており、大連港が展望できます。
宝飾品や土産物を売っている売店もありました。

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旧満鉄大連埠頭事務所屋上から撮影した、1924年竣工の大連第二埠頭船客待合所(現在の大連港候船庁)です。
待合所の右手から第1から第4埠頭までが列び、写真の後方に見える埠頭は第2埠頭です。
現在も旅客用の待合所として使用されており、内装もある程度残っているようです。
映画ラストエンペラーでのロケとしても使用されたそうです。

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この写真は戦前の大連第二埠頭船客待合所です。
建物の形が変わったことが分かります。1987年に改築されて、現在の形に変わりました。
戦前は、多くの物資や人が日本との間を行き交いました。
戦後も引揚港として活躍し、終戦後から1947年3月までの間だけで、大連港から20万3765人の日本人の引き揚げが行われたとのことです。
私の大学の教授で長春生まれの方がいて、講義の合間に中国で大変な思いをして逃げ帰ってきたことを語っていたことを思い出しました。
かつて希望に満ちて満州の大地に足を降ろした日本人が、戦後、着の身着のまま大連港から立ち去ったと思うと、感慨深いものがあります。

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日本が整備した第1から第4埠頭までの大連湾(旧港区)に代わり、現在では大窯湾(新港区)が貨物の中心になりました。
現在でも、大連は中国東北部の中心港として栄えてます。
前に書いたとおり、大連港の説明をした大連港集団(港湾管理会社)の職員から、大連の基礎は日本人が作ってくれたので本当に感謝していますという旨の説明を受けました。
そこで、皆さんに感謝して、大連が誇る真珠等の宝飾品を特別にサービスします…って、
またかい\(^o^)/
ここで買い物ツアーが入るとは思っていなかったので、ちょっと意表を突かれました。
残念ながら、日中友好に尽くすほどの財力が無かったので(笑)、友好の気持ちだけ表して立ち去ることにしました。(^^)

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