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旧ロシア人街

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お昼が終わってから自由時間となりましたので、まず旧ロシア人街に行くことにしました。
路面電車の勝利橋電停を降り、北に渡ると、勝利橋が見えています。
1899年にロシアが「ロシア橋」としてこの場所に橋を架けましたが、日露戦争中にロシア軍によって壊されました。
1907年に、日本が橋を造り直し、「日本橋」と改名しました。
戦後、「日本橋」は「勝利橋」と改名され、1993年には西側に新しい橋が建てられ二重の橋となり、勝利橋は現在では4車線を有する橋となっています。

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勝利橋を渡ると、ロシア人街が見えてきます。
左側に見えるのは、大連芸術展示館(旧東清鉄道汽船会社事務所)です。
東清鉄道は、三国干渉によりロシアが取得した鉄道敷設権により設立された会社で、日露戦争後の同社の満州内の路線は、南満州鉄道が譲り受けました。
北九州市の門司港に外観が同じ建物がありますが、北九州市が大連市友好都市である関係から、1994年に建築されたものだそうです。

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こんな感じで、ロシア風の建物が並んでいます。
ですが、古い建物は余り手入れをされておらず、傷みが酷くなっています。
代わりに、新しい建材で作られたと思われる、ちょっと品のない建物がポツポツ建ち始めています。
ぱっと見、ラブホ街ぽいです。(^^;)

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大連船舶技工学校(帝政ロシア時代のダーリニー(大連)市長公邸、旧満鉄総裁邸宅)。
1階がバーになっているぽいのですが、こんな学校あって良いのでしょうか。立派な船乗りになるための修練か?(笑)。
ちょっと建物全体が痛んでいて心配です。

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ロシア人街の最奥にあるのが、旧ダーリニ市役所です。
建物の前にロータリーの中央部には噴水施設があり(現在は水を湛えていません。)、ここが帝政ロシア時代の行政の中心であったことを示してます。
1902年にダーリニ市役所となり、日露戦争後の1907年に満鉄本社となり、1908年に満鉄本社が昨日の記事の場所に移転した後はヤマトホテルとなり、ヤマトホテルの中山広場への移転後は、満州物質参考館、満蒙資源館、満州資源館などを経て、戦後に大連市自然博物館となりましたが、現在は使用されてません。
かなり痛んでいるので、将来が心配です。
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という訳で、老朽化と再開発が進んでいる旧ロシア人街の表通りの一歩裏を歩くと、いかにも中国!という感じの街がありました!
ちょっと歩くのも怖い感じでした。(^^;)
更に奥はもっと凄い状態でしたが、流石にそちらに行くのは憚れました…。

旧日本人街と同じく、旧ロシア人街も「俄羅斯(ロシア)風情一条街」として再開発が進んでおり、裏通りの町もかなり壊されているようでした。
貴重な歴史上の建物が、再開発の波にさらされて消え去らないことを願っています。

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