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ローマ人の物語 XII 迷走する帝国

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 タイトル:ローマ人の物語 XII 迷走する帝国
 著者:塩野七生
 出版社:新潮社

今まで、「ローマ人の物語」の表紙は、インフラを扱った10巻を除き、彫像やコインなどで描かれた歴代の執政官や皇帝で飾られていました。
本書では、2人の皇帝が描かれています。跪いているのが皇帝ヴァレリアヌス、その横で佇んでいるのが皇帝フィリップス・アラブス、そして馬上で2人を見下ろしているのはササン朝ペルシア王シャブールⅠ世。
そして、本書のタイトルは「迷走する帝国」。
本書は、セウェルス朝末期から軍人皇帝時代、いわゆる「3世紀の危機」の時代を扱います。この50年間で、元老院の認可を受けた正式な皇帝は21人、自称を含めれば40人を超える皇帝が乱立します。

セプティミウス・セウェルスが一時的に立て直したローマ帝国でしたが、後を継いだカラカラは共同皇帝の弟ゲタを殺害し、アレクサンドリアでの虐殺など、一説によれば2万人の市民を虐殺したと言われます。
カラカラは、212年にアントニヌス勅令を発布して、属州民にローマ本国と同じローマ市民権を付与しました。これは、一般に税収の拡大を狙ったものとされていますが、属州民に対して兵役の代わりとして課税されていた属州民税(収入の10分の1)が課税できなくなったため、かえって税制は破綻しました。
この後、ローマは税収不足を補うため、戦時臨時税を乱発して、市民の反発を受けるようになります。
カラカラは、パルティアへの遠征途中に、マクリヌスに暗殺されました。

この後、ヘリオガバルス、アレクサンデル・セウェルスと経てセウェルス朝は崩壊、ローマは軍事力を背景としたクーデターにより皇帝に就任する、軍人皇帝時代を迎えます。
既に低下していたローマの国家財政や軍事力に加えて、帝位争奪戦があるたびに国境防衛に隙を生じたため、蛮族の侵入やササン朝ペルシアの攻勢を招きます。
ついに、皇帝ヴァレリアヌスが、259年にシャープールⅠ世率いるペルシア軍に、生きたまま捕虜となるという前代未聞の事態に陥り、ローマは大混乱に陥るとともに、ローマに従っていた同盟国や同盟都市の離反を招き、更に蛮族の侵入が激化しました。
東方ではパルミラ王国がローマに代わって盟主となり、当初は対ペルシアとしてローマと共闘関係にありましたが、実質的に女王ゼノビアが統治を始めると、エジプトなどローマ領を公然と侵略し始めます。また、西方では現在のフランスとスペインにガリア帝国が成立します。
ここにおいて、ローマ帝国は3分されることになってしまいました。

この未曾有の危機を救ったのは、皇帝アウレリアヌスでした。
彼は、首都ローマにアウレリアヌス城壁を構築して防備を整えるとともに、蛮族を各個撃破し、ダキアを放棄して、ドナウ川戦線を整理統合し、ローマ本国の防衛を安定させます。
ここで、アウレリアヌスは兵を東に進め、パルミラ王国征服を開始します。ローマ軍に破れ敗走した女王ゼノビアは、ササン朝ペルシアへの逃亡を図りますが捕縛され、ここにパルミラ王国は崩壊します。
更に返す刀で、アウレリアヌスは軍を西方に進め、ガリア帝国へ向かいますが、ガリア皇帝テトリクスは帝位を返上して、西方属州もローマ帝国へ復帰し、ローマ帝国は再統一することに成功しました。
しかし、このアウレリアヌスも、ヴァレリアヌス以降の失地回復のため、ササン朝ペルシアへの遠征に向かう途中、側近に暗殺されてしまいます。
ローマは再び皇帝の暗殺や、僭称皇帝が続出する事態に陥りました。
ローマ帝国の崩壊の原因は、数々の要因が組み合わさって徐々に進行していったのであり、1つや2つに纏めるのは不可能だと思われます。

しかし、大きな要因を考えると、まず経済面では、既に共和制末期から始まっていたイタリア本国の産業の空洞化により本国の国力が弱まっていたところ、それを支えていた属州の農業生産力も、度重なる蛮族の略奪や、灌漑設備の整備に手が回らなくなったことから、農業生産力が急激に落ち込んだことがあげられます。
蛮族に追われて耕作地を放棄した難民は城塞都市に逃げ込み、無産階級に没落し、社会不安の温床となりました。
また、治安の悪化は、ローマ帝国内外で行われていた交易を停滞させ、国庫の悪化を受けて行われた重税や貨幣の改鋳により、商業も衰えました。
ローマ帝国の収入が落ちる一方、蛮族の侵入や内乱により軍事行動が増え、支出は膨大になっていましたから、公共投資に手を回す余裕が無くなりました。
経済力を失ったローマ帝国は、かつてのような精強な軍事力を維持することが難しくなっていました。

また、マリウスの兵制改革以降、ローマ軍は市民軍から職業軍人制に移行しており、軍隊は市民から乖離して、独自の権益を主張するようになっていました。
軍事力を背景にしているため、政治的権力にすぎない元老院に対抗する術はなく、歴代皇帝の悪政も手伝って、ついには皇帝の権力すら蔑ろにし、勝手に皇帝を擁立して最高権力を目指すという内乱状態に歯止めがつかなくなりました。
危機に直面すると、危機に対応するために一致団結する…のではなく、自分だけの保身を図って分裂を始めるというのは、古今東西よく散見されます。
ローマ帝国も例外ではなく、外患が高まっているにも関わらず、混乱し弱体化しているローマ本国に見切りを付けて、属州長官や軍団長が蜂起することも増えてきます。

今も昔も、国家にとって一番重要なのは、安全保障と治安の安定であり、これがあって始めて経済も活性化し、民心も安定します。
特にローマ帝国は、多種多様な民族と地域を領土にしていましたから、それら他民族に対しても安全保障を提供することが、広大な国土を維持するには必要なことでした。
しかし、属州どころかローマ本国すら蛮族の侵入を許すようになり、他民族に対して安全保障を提供することはおぼつかなくなってゆきます。
パルティア王国やガリア帝国の成立も、むろんそれらの政治指導者の野心もあったとは思いますが、ローマ帝国が帝国の西端と東端に、防衛力を提供する余裕が無くなっていたのも、大きな要因だったのだと思います。

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